『フードジャーニー』を読まれた方のメッセージをお届けしていきます。皆さん、ありがとうございます!

 

生体コミュニケーション論で綴られる本書は、私たちの日頃慣れ親しんだ時間軸を遥かに超えながらも、身体と生命に筋道が通っているため、壮大でありながら一貫性がある内容となっている。

いつからか私たちは思考で考え食べるようになったと言われるが、いつか私たちは身体に耳を傾けミトコンドリアと共生するような食生活に戻れるのだろうか。

近代になり自由と選択肢が広がった日本人が、理解と共感の上で主体的な意志で日本食へ還る旅路はそのままフラクタルに展開していく平和活動であると思えた。

藤代健介(アーティスト)


 

内側と外側とを隔てる膜(隔離膜)は非常に重要である。ミトコンドリアで内膜の具合が悪くなれば、エネルギーが作れなくなるし、細胞の膜が破壊されれば細胞は死んでしまう。

では、腸内環境や日本人を形作る「隔離膜」は何なのか。「隔離膜」をキーワードとして、ミトコンドリアの様に目に見える隔離膜から日本人社会といった目に見えない、しかし厳然として存在する隔離膜まで、その一つ一つの事象を吟味した著者がたどり着いた結論、「日本人を形作っている「隔離膜」は日本人の日々の食物にあるという」結論は説得力がある。また、そのために日々の食生活が如何に大切さも教えてくれる。

5年間という長い時間をかけて蓄えた知識を生(き)のまま出すのではなく、ちょうど旨い酒を醸し出すような知識まとめ方は著者のこれまでの知識の集め方を彷彿とさせる。その意味でこの本は、これまでとは一線を画す異色の本である。

手に取って、著者の思考空間を是非楽しんでみて欲しい。

米川博通(東京都医学総合研究所 生体分子先端研究分野 研究員)


 

「フードジャーニー」を読み終えました。
 「長い生命の旅」……、長沼さんの文章と共に時空を超えた旅をし、「今ここ」(=僕が暮らす日本の里山)へ還ってきた感じです。

この本は「分断」から「統合」へ移行していく時代において、境界線を飛び越える「知の翼」のようです。 食べて生きて、旅をして、「縄文」・「コメ」・「発酵」を通して、僕らの「魂」をつくってきたプロセスは、僕の「ソウルジャーニー」と重なります。

行き当たりばったりの人生で、アメリカ・アジア・ヨーロッパ・日本を流れるままに旅して来た僕が、房総半島の里山で米・味噌・醤油・酒を多くの人たちと共につくっている人生の不思議を説明してくれているようでした。

今後は一緒に、天水棚田でのお米づくりを楽しみましょう。

林良樹(農家・アーティスト・NPO法人うず理事長)


 

日本の古代史は、狩猟・採集生活中心の縄文時代から、農耕(稲作)・牧畜に移行していった弥生時代と、これら2色のグラデーションで理解されてきた。しかし、この書では、そのどちらでもないドングリなどの採集に軸足を置いた地域や時期みられたとし、「オーク(どんぐり)文明」という呼称を当てはめた。私自身、この概念(言葉)に心ときめいた。

ドングリは100gあたり252kcalと、その熱量はコメ(精白米のごはんで168kcal)を上回るという。ドングリはブナ科の樹木の堅果の総称だが、収穫できる時期は、落葉広葉樹のナラ類が9月下旬頃から始まって、常緑広葉樹のカシ類は場所によるが2月頃までと結構長い。そして、アク抜きさえすれば、食べられないドングリはない。

実際、全国各地の縄文遺跡で「どんぐりの貯蔵穴」が見つかっているが、多くは地下水の湧くところに作られている。どんぐりを地下水に浸すことによって、発芽を押さえたり、どんぐりに産み付けられた虫の卵やふ化した幼虫を殺すことができるのだが、さらにどんぐりのアクを抜くこともできる。私自身、ドングリを幾つかの方法で食してみたが、当時も手に入れることのできたオニグルミの実やハチミツを混ぜ焼いてみると、口へ運ぶ手が止まらなくなった。

こうした経験から、「オーク文明」という概念は、とても喉ごし良く私の理解に収まったが、さらにこの書では、「狩猟採集民は、人類史上最も余暇に恵まれた人たちであった」と続けている。オーストラリアの原住民アボリジニの場合、成人男子は1日平均3時間50分、成人女子は3時間44分、食料を得るための労働に時間をさけば、家族を養うことができたという報告がある。

そこで生まれた彼らの余暇は、独自の造形表現によって彩られたアボリジニ・アートを生み出した。芸術家岡本太郎氏に「心身がひっくり返るような発見をした」と言わせた日本の縄文土器や土偶も、やはり狩猟・採集民の余暇が生み出したアートかもしれない。こうして「オーク文明」という概念は、私の想像を超えさらに奥行き深く広がった。私も、「オーク文明」の深化に参加したい一人となった。

フードジャーニーという視点で歴史を読み直すと、こんなにも発見があるのか。ユーラシア大陸の極東に浮かぶ日本列島は、フードジャーニーの末に結実した希有な文化・生き方を受け継いできた人たちの住む島々なのだ。

東林正弘(森林インストラクター)


 

長い間、人間の食生活や社会活動から排出される下水を浄化し、美しい川や生態系を守る下水道テクノロジーにかかわっているが、その主役は人類が誕生する前から地球にいる微生物たちである。

微生物には下水中の有機物を分解するものや発酵させるものがいる。そして、この自然のチカラは美味しい食や地産地消のエネルギーをつくることで持続的な地域社会を形成する。捨てていた下水は、実は「地域の宝」のようだ。

そんなことを考えているときに「フード・ジャーニー」に出会った。この本は、人間にとって生きるための基本的な活動である「食」を通して、人間そのもの、そして共生について、歴史、文化、微生物学など様々な視点から捉えている。私には「フード・ジャーニー」は、地域の「宝さがし」の旅に思える。

加藤裕之(東京大学工学系研究科 都市工学専攻特任准教授)


 

一読して、他に類を見ない、これまでになかったユニークな視点の本だと感じました。

腸内細菌に関する私の研究も多く引用されていますが、内容的に申し分ありません。時間をかけ、本当によく書けています。

「フードジャーニー」というタイトルもとてもいいですね。これからの著者の活動に期待します。

光岡知足(理化学研究所名誉研究員、東京大学名誉教授)


 

文系理系という不毛な分断を、軽やかに越える快作/怪作だと思います。

知的快楽を心ゆくまで堪能したい人に激しくオススメです。


藤田一照(禅僧)


 

「フードジャーニー」、拝見しました。4次元的スケール……いや、空間・時間に愛を加えた5次元のスケールのお話でした。

日本人として、地球の細胞の一つとして、祖先が暮らしてた歴史や環境について学ぶことができました。 私たちの祖先が銅板だとすると、風土がトンカチとノミで、長期間の地道なエフェクトにより、現在のヤカンとしての私たちが形作られているのだなと。未来のヤカンは今と違う形をしていると。
また、地球がヤカンなら私たちは銅の分子です。環境を破壊することで地球がいびつなヤカンにならないことを願いたいです。

すべてが膜で繋がっている話も、圧倒的です。連続的なふるいにかけられて大から小に、スポっとハマった感覚を受けました。マトリョーシカのような、硬貨を50枚づつ数える道具にハマった10円玉のような規則性を感じます。

雷とミトコンドリアの話も、衝撃的です。 水や空気中の分子が熱・重力のエネルギーによって作用して雷が発生し、そのエネルギーが工場の役割をなして、生物に繋がる。それに似たことが体内でも起こっていると。
映画「Men in Black」で、猫の首飾りにあった宝石が、実は大宇宙だった。この地球は神が遊ぶビー玉の中の宇宙にあったみたいな、輪廻っぽい現象ですね。勉強になります。

これらに知識として触れると、資源循環は良いことではなく、地球の生態学上では当たり前の事なのだと感じます。当たり前のことをしなかったから、食べ物の力が薄くなってしまったのでしょうね。当たり前に戻していきましょう!

長沼さんの徹底した取材と深い哲学が、またもや私のパラダイムをぐるぐるかき回します。ありがとうございます。

斎藤貴視(自治体職員)


 

『フードジャーニー』では様々な切り口から、身体や生命の本質、長い歴史の中で脈々と息づくストーリーなどに触れていきます。

その中で、生命はそれを養う力や心地よさを常に求め続けていることが明らかにされます。それは個やアタマの力では決して抗えないものであるように感じます。

私自身、数年前から自給分の米や大豆づくりを始め、最近では味噌、醤油、納豆などの発酵食にも挑戦しています。『フードジャーニー』の視点からすると、最近の私自身に起きていることは、ひょっとしたら身体や生命のはたらき、そこからの引きなのかもしれません。

これからも農や食に関わり続けると思いますが、私自身は身体や生命のはたらきを自覚しながら、健やかに機嫌よく居ることを大事にしていきたいと思っています。長沼さんの静かなまなざしが感じられる『フードジャーニー』。身体や生命のはたらきが目覚めるきっかけになるかもしれません。

大谷健(百姓“見習い”)


 

食べるということは生命の営みに必要なエネルギーを取り込むこと。しかし、単なる「栄養補給のため」と思って食べる人は少ないだろう。

食べることは「幸せ」「幸福感」を味わうこと。それは生きることに直結する。 またその逆のベクトルにも 食べる→幸せ→生きる……それがよく分かる内容で、食べることの意味が再構築できた。

また、生きるための「食」の視点から人類の歴史を再確認する事もでき、彼らが身につけた生きるための知恵のおかげで今の我々が存在できていることに改めて感謝の念が浮かんだ。

前川憲大(理学療法士)


 

私たちはいつのまにか多くの「思い込み」を抱えながら日々を生きている。

その「思い込み」に至る魔法の因果に気づかぬまま、新しい魔法に晒されては互いに世界を狭く縛りあってることに無自覚であることが多い。

長沼さんの『フードジャーニー』は私たちに古来からかけられていた魔法を「歴史的」にも「科学的」にも明晰な文体で細胞レベルから解くことのできる画期的な一冊となっている。

新しい時代を迎える今こそ、本書を通して自分へと繋がる生命としての旅を追体験する事で、幾重にも折り重なった「思い込み」を解き、心身の伸びやかな拡がりを獲得する事で私たち日本人が忘れてかけていた「記憶」と「希望」を再発見することができるのではないでしょうか。

井島健至(カメラマン)


 

現在の私たちの世の中でどのようにして健康を維持するかを考えた場合、日本あるいは世界に住む方の健康維持の情報を入手してそれを活用しようとするのが、私を含め多くの方がとる手法ではないでしょうか。

いわゆる学術論文や学会活動もその手法で成立しているといって良いでしょう。これを別の言葉で言い現わせば、「横に広がるネットワーク」と言えるかもしれません。このネットワークの特徴は、双方向性で成長したり変化したりすることにあります。

しかし、Food Journeyでは、歴史的な観点(縦方向のネットワーク)からもヒトと自然の成り立ちについて考察しています。この縦方向のネットワークは、双方向性ではなく、文献的考察と想像を駆使して作られる「創造」の産物です。従ってこの書物は長沼敬憲氏の夢の旅行と呼べる書物で、批判的な目を持たず著者の旅を楽しむことが大切です。

私も長沼氏の夢の旅行にご一緒させていただいた読者として、「楽しい旅だ」という感想を皆さんにお伝えしたいと思います。

佐古田三郎(医師)


 

都会でのパターン化された暮らしの中で「自己の喪失」に苦しむ人たちが、たくさんの時間とお金を費やして「自分探し」に必死になっています。

でも、意外と答えは目の前の【食】という日常の行為にあるかもしれません。

そして、その切り口から導き出される「自分」とは、誰に対しても平等に開かれ、全ての人と分かち合うことのできる「自分」だったりします。そんなステキな物語がこの本「フードジャーニー」には描かれています。ぜひお読み頂ければと思います。

木戸寛孝(コンセプトデザイナー)


 

食べることの意味合いを、歴史、進化、旅、信仰、栄養といった観点から、分かりやすい言葉を利用して説明してくれている書籍です。

科学的なこと(見えるセカイ)と、非科学的なこと(見えないセカイ)とがバランスよく配置されていて、あっという間に読み終えてしまいました。

食べることだけでなく、いろいろなことにも共通する世界観みたいなものも感じました。言葉にするのは難しいですが。

ともあれ、食べることは誰もに必要なこと。本書は食べることの意味を改めて考えみるきっかけ、ひいては、読者の世界観を変化させるきっかけになると思います。

金尚弘(京都大学工学研究科助教)


 

長沼さんから「フードジャーニー」の構想を聞いたのはもう5年位前のことです。それ以来ずっと待っていた本を真っ先に読ませていただくことが出来ました。

当時の私はただただ本やネットからの知識だけでマクロビオティックやビーガンの考え方に傾倒し、どこか「義務」のような感覚で「和食、菜食にしなければ!」と人生で初めて食生活の大切さと向き合っていました。

ところが周囲に薦めてみてもほとんど受け入れてもらえず…。理解も得られずに、今にしてみればずいぶんと『窮屈』に食と向き合っていました。

そんな折にフードジャーニーで知ったのは「(世界と比して)独特な文化、食生活を育んだ日本人」という存在。私達の祖先はアフリカからの長い長い旅の果てにたどり着いた水の豊富な塩に事欠かない島「日本」で世界基準とは違う食、つまり「米」を主食とし、大豆や塩からなる発酵食品で生きてきた民族であり、和食や菜食のような食生活は本当はとっても「自然な流れ」として受け継がれてきたことを知りました。

「そうか!日本人は和食のような独特な食文化を栄養のために受け継いだのではなく、空気のように自然に受け継がれてきたんだ!」

戦後70年はそんな食文化もずいぶんと後退したかもしれません。それを100%復興するのはもう無理かもしれません。ですが、ごくごく自然に受け継がれてきた伝統食が今の私達のルーツであり、決してその長い歴史を簡単に消すべきではないんだなと教えられました。

栄養素主義や頭でっかちなイデオロギーで食を考えるのではなく、この本を通して皆さんにも歴史を旅しながら「食」について考えてもらえたらこの本のファンとして嬉しいです。

 野口久美子(主婦)


 

ひと言でいうなら「人はどこから来て、何を食べてきたのか?」というテーマを深く解き明かしている本です。

しかし、一般の進化論的な話ではありません。「食」という、こんな身近なテーマが、これほどまでに深く、あらゆる物と繋がっていることに驚かされます。しかも、面白く、分かりやすいので、驚いたり、納得したり、終始ワクワクしながら読むことができるはずです。

古来、生物は生きるために食べ、食べるために行動し、よりよく食べるために体を進化させてきました。つまり、「食べもの」=「命」であるわけです。

我々人間も、はるか昔は、食べることを根底に生活が形作られていた時代が長くあります。そして、その営みが、地域独特の風土を醸し出し、文化を生み、文明を作り出してきました。その視点から見ると、人類の悠久の歴史の根底には「食」があることが分かります。

また、動物が生きるために摂取する「食べ物」は、その地域の植生によって決まります。植生は気候によって左右され、気候は地球の環境によって作りだされ、地球は宇宙の法則によって動かされ、宇宙は・・・・

ミクロ的には、食べ物によって体が作られ、体を動かすエネルギーを得るため臓器が動き、臓器を動かしているのは細胞であり、その細胞ひとつひとつが生きるためのエネルギーを生み出だしています。

ですから、ある意味、細胞から宇宙まで、形ある世界、この空間は全て「食」によって繋がっているともいえるわけです。

つまり、歴史と宇宙、時間と空間、別々に思えるすべてが「食」で繋がっていることに気づかされます。そして、自分の中に、人類の歴史があり、宇宙があることを実感させてもらえます。

また「食事」をひも解いていくと、私たちは、腸の中の菌との共生によって成り立っており、あらゆる菌との共生こそが、絶妙な調和を生み出していることが分かります。その姿をみると、「世界平和の根底も腸内環境にあるのではないか」、そんな壮大な、ある意味、細密な思いを抱いてしまうのは私だけでしょうか。

古文書、歴史学、哲学、医学、生物学、文化人類学、自然科学・・・・ありとあらゆる事例、文例から「食」の本質を掘り下げ、仮説や可能性も含めて、分かりやすく見せてくれています。

でも、面白いことは、これだけ論を重ねていながら、最終的に理解するしない、受け取る取らないを、「エビデンス」による説得ではなく、「読者のセンス」に任せているあたりが、著者・長沼さんの懐の深さを感じます。

長島光明(ビジョンカウンセラー)